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安倍晴明は最初から「圧倒的センター」ではなかった? 晴明を有名にしたやり手の子孫・安倍泰親を調べてみたら、とんでもない陰陽師だった

2023/11/07公開
安倍晴明は最初から「圧倒的センター」ではなかった? 晴明を有名にしたやり手の子孫・安倍泰親を調べてみたら、とんでもない陰陽師だった

陰陽師(おんみょうじ)ときけば、安倍晴明(あべのせいめい)を思い出す。平安貴族の頂点、藤原道長と同時代に活躍した晴明は、いろいろなパワーをもつ人間として人気だ。

 

しかし平安時代、じつは安倍晴明のほかにもたくさんの陰陽師がいた。晴明だけが活躍していたわけでもないらしい。なぜ現代は、安倍晴明だけが圧倒的に有名なのか? そのカラクリを調べに、国立歴史民俗博物館(以下、レキハク)「陰陽師とは何者か」展を訪れた。

 

尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)。「給湯流」と表記させていただく。

 

晴明をブレイクさせたのは、平家物語にも登場する陰陽師・安倍泰親(あべのやすちか)だった

 

 

「安倍晴明は最初からスーパーヒーローではなかったのです。」

 

ちょっと苦笑いしながら話してくれたのは、小池淳一さん。レキハク研究部教授だ。現在公開中、「陰陽師とは何者か」展の展示代表を務めている。

 


▲安倍晴明の子孫の日記を現代語版にしたタッチパネルを操作する小池さん。このタッチパネルは読みやすく、歴史有名人も出てきて面白い。とてもオススメだ。

 

 

安倍晴明が生まれるはるか以前、奈良時代から陰陽師は活躍してきたという。また、晴明が活動する時代は、宮中での政治から平安貴族のプライベートの決め事まで、陰陽師がひっぱりだこ。たくさんの陰陽師が平安京で働いていた。

 

アイドル風にいえば「同期にライバル」がたくさんいた安倍晴明。どうやって頭一つ抜け出し、現代まで続く人気を獲得したのか?

 

給湯流茶道(以下、給湯流)「安倍晴明は、いつブレイクしたのですか?」

 

小池淳一(以下、小池)「それは、大変良い質問です! 有名になっていったのは、本人が生きた時代よりずっと後。平安後期と室町時代なのですよ。最初に晴明を有名にさせたのは、安倍泰親(あべのやすちか)です。」

 


安倍泰親、肖像画の展示は残念ながら無いものの、しっかりゆるキャラ化されていた(笑)。彼は晴明の5代の孫で、晴明が亡くなって約100年後に生まれる。ちょうど平清盛が政権を握ったころ、陰陽師として活躍したそうだ。

 

小池「泰親は、占いの的中率がとても高く一目置かれていました。指すように当たると評判で「サスノミコ」と呼ばれるほどです。彼が『自分の祖先は安倍晴明です』とアピールしたために、この時期に晴明が有名になったといえます。」

 

平清盛の政変を占いで的中! 安倍泰親は「神って」いた

 

当時、陰陽師の占いが7割あたれば「神」扱い。しかし泰親の占い的中率はすさまじく、なんと8割に到達していたという。実際に泰親が占いを的中させた古文書が、展示されている! さっそく見てみよう。

 

▲安倍泰親等勘申天文奏/治承3年(1179年)10月19日(東京大学史料編纂所所蔵)

 

こちらは泰親と子息が作った文書だ。1179年10月14日の金星の動きを調べたところ、大きな政変が起きると予想し、宮中に提出。するとなんと翌月に平清盛が後白河法皇の院政を停止する政変が本当に起きた。泰親の占いが的中したのだ!

 

超当たる陰陽師・泰親は当時のスーパー有名人。なんと『平家物語』にも出てくる。彼の登場シーンが、展示されているらしい。さっそくチェックしよう。

 


▲平家物語 巻三 法印問答(江戸時代写)(国立歴史民俗博物館蔵/田中穣氏旧蔵典籍古文書)

 

1179年11月7日に地震が起きた際、内裏(だいり)に安倍泰親が駆け付け、その危急を涙を流して訴えた、と書いてある。当時を代表する陰陽師として印象的な登場シーンが用意されたのだ。

 

また、なぜ占いが良く当たる理由を聞かれた際、泰親は「私は晴明の5代目にあたりますので、占いを得意とするのは当然なのです。」と主張していたという(※)。

 

※『台記』久寿二年七月二十六、二十七日条/『陰陽師とは何者か』展・図録より引用

 

戦国時代の陰陽道マニュアルの裏面から、謎のメッセージを発見。最新研究で新たな陰陽師のスターが生まれるかも?

 

安倍晴明の100年後に生まれた、天才陰陽師・安倍泰親。彼が晴明をアピールしなかったら、現代を生きる我々は晴明を知らなかったかもしれない。晴明が出てくる小説や漫画も無く、フィギュアスケートの試合で羽生結弦が『SEIMEI』を使用することもなかったかも? 後世に伝える人の情熱がなければ、歴史は消えていく…そう思うと胸が熱くなる。

 

▲晴明社社号額写/安政元年(1854年)(晴明神社所蔵)

 

給湯流「ブッダやイエスは本人が亡くなった後、弟子が教えを熱心に流布したとききます。今でも有力な宗教として残っているのは、弟子のアピールのおかげともいえますよね。安倍晴明も100年後に泰親が拡散したから、今の人気に繋がる。ほかにも有能な陰陽師はたくさんいただろうに、後世にシェアされず消えていったのですね…。」

 

小池「ちなみにレキハクは、ただ展示をするだけではなく、研究機関でもあります。」

 

給湯流「そうなのですか。」

 

小池「今はあまり知られていない陰陽師のことも調査しているのです。まだ論文になっていない最新資料も展示しています。ぜひ見てください!」

 

▲占術・暦注雑書(16世紀初頭~前半)(国立歴史民俗博物館所蔵 吉川家文書)

 

給湯流「こ、これは?」

 

小池「長く陰陽師を輩出してきた吉川家の資料です。こちらはオモテ面。戦国時代の陰陽道のマニュアルのようですね。新発見は、このマニュアルの裏面にあるのです。どうぞご覧ください!」

 

 

給湯流「あれ?文字が切れています。」

 

小池「その通り。このマニュアル、とある手紙の裏紙(※)を使っているようです。不要となった手紙を断裁。持ち運びやすい大きさにして、裏面に陰陽道のまじないなどを書いたのですね。」

 

 


給湯流「陰陽師がどんな人々とつき合っていたのか。裏紙は、それを知る手がかりになるのですね。」

 

小池「裏紙を解読すると、椿阿弥(ちんあみ)という人物が、武家の細川氏からもらった手紙のようなのです。今後の研究によっては、戦国時代の陰陽師と武家の関係でなにか新発見があるかもしれません。この件は、レキハクの研究報告に後日掲載予定です。」

 

給湯流「研究が進めばいつか安倍晴明に続く、新たな陰陽師のスターが生まれるかも? 楽しみです。」

 

 

※「裏紙」の正式名称は、「紙背(しはい)」という。

 

アイキャッチ画像:陰陽師と式神・外道復元模型(泣不動演技絵巻復元模型)(国立歴史民俗博物館蔵)

 

取材・文/給湯流茶道

 

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企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」

開催期間         2023年10月3日(火)~12月10日(日)

会場    国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B

https://www.rekihaku.ac.jp//exhibitions/project/index.html



陰陽師とはどのような存在だったのでしょうか。この展示では、あまり知られていない陰陽道の歴史とそこから生み出されてきた文化をさまざまな角度からとりあげて考えてみます。古代において成立した陰陽道は中世から近世へと数百年にわたり、その役割を広げながら、時代とともに多様に展開していきました。その姿を都状(とじょう)や呪符など具体的な史資料をもとに、明らかにしていきます。

 

安倍晴明は平安時代の実在した陰陽師ですが、陰陽道の浸透とともに、伝奇的なイメージが付け加わっていきます。その姿を追うことで陰陽道の性質をとらえることも試みます。さらに陰陽師たちが担った暦について、その製作や形式、移り変わりの様子を見つめることによって、人びとが陰陽道に求めたものが見えてくるでしょう。

 

なお、この展示は科学研究費基盤研究(C)「古代~近代陰陽道史料群の歴史的変遷と相互関係の解明」の成果の一部です。


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♦特別展の詳細はこちら↓

https://cumagus.jp/articles/Z_0pXVQSdaopChoLXtduU


♦おすすめ本5選の記事はこちら↓

【おすすめ本5選】国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」がもっと楽しめる!

 

 

 

 

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